2010年06月の記事

ひとつの節目


展示場の入り口に石のフラワーポットが置いてあります。

何気に見ていたら黒揚羽が1羽、展示場内の別の場所に置いてあるフラワーポットの花に止まっては飛んでと繰り返していたので、事務所に戻りデジカメで撮影してみました。



先日、若大将50周年記念コンサートに行ってきました。


50年。私の人生よりも長く芸能生活を送っていらっしゃいます。


バックスクリーンでは若大将シリーズの映画とともにその時の挿入歌をご本人が熱唱。

私の年齢ではほとんど??でしたが、会場はすでに乙女に戻ったオバサマ達がカラダ全体でノリノリ状態。とても素晴らしいことです。

映画のワンシーンが映し出されるとその当時の自分に戻っていたおじ様・おば様たち。


若大将も今年73歳になったそうです。そんな感じには見えなかったですよ。

声もよく出ていましたし、ただしトークになると少し年齢を感じるかな?

ゲストにはさだまさしさん・南こうせつさん・トワエモアが登場して、豪華メンバーで結成された加山雄三とザ・ヤンチャーズ『坐・ロンリーハート 親父バンド』も演奏され、そのパワーは凄かったです!

当日参加出来なかったメンバーさんはスクリーンで参加。これは見ものでした^^

ご本人がステージで歌っているのに、ついつい目はバックスクリーンに釘付け。


自分自身の節目に周囲が盛り上げてくれる。

仲間という存在は年齢を超えた大切な宝物ですよね。


自分の誕生日も大切な節目のひとつです。1年1年年齢を重ねて自分の歴史を作っているわけです。自分の人生の節目はたくさん存在します。

そう思って過ごすとまた違った自分を発見できるかもしれませんよ。



今日と言う1日に感謝


合掌


勉強会に参加しました

昨日は岡崎商工会議所の商業部会6月例会に参加しました。


実は女性部が7月例会で開催する12年連続 顧客満足度NO.1企業の視察会に商業部会さんも参加することになり、初の共同企画となりました。

視察先は『ホンダカーズ中央神奈川』です。

コンサルタントの先生による事前勉強会です。約90分の講義です。


女性部7月例会で今回の視察会を実現するために、私もネットで調べて少し勉強しました。

たしかに視察したくなる企業です。


現場に行けばその会社の雰囲気が分かるからです。


中小企業の社長さん!

社員の意識改革をされる前に、まずは自分の経営理念をしっかりと確認してみる必要があるようです。

かの、カルロス・ゴーン氏もN自動車の社長に就任されてすぐに視察に訪れたのは有名なお話です。


現在では家族的経営方法が見直され伸びている企業が多いそうです。

伸びている企業・支持されている企業の共通点は企業理念、すなわちビジョンを明文化しているそうです。


人も成長すれば会社も成長する。

そんな事を実践しながら活躍されている相澤会長の講演会が今から楽しみです。


今日という1日に感謝


合掌

碧南K家の納骨

今日も蒸し暑いですね。


今シーズンはじめて事務所のエアコンが入りました。涼しいです^^


昨日は碧南でK家の納骨でした。午後4時半。

雨が降ったり止んだり。空が気になる1日でした。


どうぞ出掛けるならと幸田町にあるお寺の敷地内で先日完成したお墓の竿石部分にサラシを巻きに行きました。

墓石が汚れないようにマント式のビニールに本体全部をかぶせました。


雲行きが怪しいな・・・と車に乗り込んだら雨。


納骨時間までには止むのかな?


4時過ぎに墓地に到着。

こちらもマント式のビニールに墓石全体をかぶせておいたので乾拭きをして納骨の準備を始めました。

まもなくお施主様と身内の方が順番に到着。


お花やお供え物を置き、ご住職の到着を待つばかり。


遅刻が多いとお施主様は嘆いておりましたが、昨日はほぼ時間通りに到着。


納骨の時に感じるのが、同じお経を聞いたことがないことです。

同じ宗派でも微妙に異なるようです。それか、読み方が違うので別々に聞こえる?


これからはそんな点にも注意しながらお経にも関心を持ってみよう~!

そう、感じた日曜日の夕方でした。


27日はI家の納骨の様子をご紹介します。


今日という1日に感謝


合掌


対面

お墓を建てるということはそのお客様の人生の一部分に関わらせて頂く事です。


先日、某所で土葬掘りを致しました。その墓地は土葬専用墓地で山深い場所にあるそうです。


今回はお施主様のお母様の遺骨を掘り、来月に完成予定の墓石に納骨いたします。

わずか1歳でお母様とは永遠のお別れをされたそうです。

そこには当時の深い事情があったことでしょう。


お母様は20代前半でお亡くなりなっておりました。

ですからたとえ60数年前でも遺骨が残っていて欲しいと。


現在、県内にお住まいのお施主様。当然、お住まいの市町村の火葬場に予約をすればよいと思っておりました。しかし、亡くなった方の住所がその市町村の住民でないと火葬の金額が違うことも今回勉強になりました。

はるかに金額が異なり驚きました。


現在、市町村の合併ブーム。今回も合併していたばかりに火葬場の予約をするのにとても苦労致しました。

その村には7箇所の火葬場があり、地域別に分かれております。

まずは亡くなったお母様の当時の住所から現在の火葬場の予約となります。

火葬の金額も住民金額でとってもお値打ちです。


土葬を掘った場合、遺骨が出てきたときは一度火葬してから納骨しなければいけません。


火葬場の予約は4時。最終にお施主様が予約を入れました。


当日、現地に到着し場所の確認を致します。

少し掘り進めますと木の墓標らしきものを発見できました。そこからはお施主様とお母様の願いが通じたのかすぐに遺骨が出てきました。


現場の夫より先にお施主様からお電話を頂きました。

私『どうでしたか?ご対面できましたか?』

施主『まだ見てないんですが、綺麗にほとんどあったそうです。ありがとうございました。』

私『こちらこそ。本当に良かったですね。』


その夜お施主様からメールが届きました。


母と初めて対面しました。涙が止まりませんでした。

今は私の自宅で私の側に居てくださいます。本当にありがとうございました。


私も胸がいっぱいになりました。


お母様も幼子を残しこの世に未練ばかりだったのではないでしょうか。


遺骨を掘るときに夫は少し身体に異変を感じたそうです。その身体に近い部分を掘り進めたら遺骨が出てきたそうです。

お母様はお施主様が迎えに来てくれることを待っていたのだと思います。


人の死に関わる仕事ではあるけれど、またその人の人生にも深く関わることもある仕事だと実感しました。



今日という1日に感謝


合掌

尾張徳川家 その2

昨日は尾張徳川家と建中寺さんを中心にお話をしましたが、今日は3代将軍の長女千代姫にスポットを当てて、父徳川家光のことも織り交ぜてお話したいと思います。


徳川家光は父:秀忠 母お江の次男として1604年に生まれました。

1625年前関白の鷹司信房の娘孝子と結婚します。しかし公家出身の孝子にとって武家の生活が馴染めず77歳で生涯を静かに閉じます。夫婦の契りは一度もなかったとも言われています。


そんな姿をみた春日局は側室を持つように家光に働きかけます。


1637年側室のお振(自証院)が家光最初の子千代姫を生みます。

ここで家光の側室を少しご紹介します。

お振(自証院):長女千代姫(尾張2代藩主徳川光友正室)を生む

お蘭(お楽の方):長男4代将軍家綱を生む

お万の方:家光死後も仏門に入らず梅の方と名を改め、春日局死後は大奥の権力者となる)

お夏の方:3男綱重を生む(のちの甲府藩主)

お玉の方(桂昌院):4男5代将軍綱吉を生む


徳川115代将軍のうち、父親の正室の子は家康・家光・慶喜の3名のみ。

将軍の御台所が生んだ将軍は家光のみです。


千代姫は父:家光 母:お振の長女として1637年に生まれます。

1638年尾張徳川光友と縁組し1639年9月婚姻をします。

1652年長男3代藩主徳川綱誠が誕生します。

1654年長女豊姫(早世)

1656年次男松平義行(高須藩主)

1658年次女直姫(早世)


正室との間以外にも側室にも子供が多く、3男松平義昌は本来なら長男ですが、側室の子供ということで3男となっております。


側室の子供である松平義昌・松平友著は千代姫の養子分となっています。


家光の話に戻りますが、正室孝子には側室の子供との養子関係を一切させなかったそうです。ここにも夫婦の深い溝が感じられます。家光死後も孝子には僅かなお金と茶道具を渡されただけそうです。


平成8年 徳川美術館所蔵の千代姫用の婚礼調度が国宝に指定されました。



今日という1日に感謝


合掌

新しいご縁


今日は快晴!です。

さて、この2枚の写真ですが、このたび新しいご縁を頂きましてお邪魔したお寺さん。

名古屋市内にあります浄土宗 徳興山建中寺です。


尾張徳川家とご縁の深いお寺さんです。

2枚目写真をご注目です!これは三門の2階部分です。こちらには大樹寺さんと同じように仏像が安置されております。

こちらの三門は慶安4年(1651年)創建当時の建築物です。

こちらが全体の写真です。


ここからは歴史のお勉強と参りましょう。

建中寺さんは尾張2代藩主徳川光友公が、父義直の菩提を弔い尾張藩のすべての人々の心の寄りとする為に境内約5万坪の敷地に本堂をはじめとする諸堂数十棟を建立し茨城県結城市の弘経寺の成誉呑上人を招請して開山されました。

徳川義直は家康公の9男。母はお亀の方です。

3代将軍家光とはおじと甥の関係になりますが、義直は1600年生まれ。

家光は父秀忠・母江代の方との間に1604年に生まれました。


徳川義直公と正室春姫との間に子宝には恵まれず、家臣の熱心な勧めにより側室を向かえ2代藩主光友公が誕生しました。義直公26歳のときだったそうです。

のちに光友公は3代将軍家光の娘千代姫を正室に迎えます。


尾張徳川家の家計図を見ますと、養子が多いことに驚きます。

尾張徳川家といえば7代藩主宗春公が有名ですね。宗春公は3代藩主綱誠の子供です。


明治維新後は華族に列し、18代徳川義礼からは尾張徳川公爵家となります。

20代目の徳川義知からは当主と呼ばれるようになります。

18代・19代・21当主はご養子様です。

越前松平家からご養子に入られた19代当主徳川義親は財団法人を設立し、諸大名の中でもいち早く宝物の保護を図りました。1935年尾張徳川家の別邸跡地に徳川美術館を開きました。


昨年は家康公と大樹寺のお勉強をさせて頂き、今年は尾張徳川家について勉強させて頂けるなんて、不思議なご縁を感じます。


お寺めぐりが好きな方ならオススメのお寺です。

徳川美術館も近所ですし、お寺の目の前には公園があります。


先日もお寺へご挨拶にお邪魔しましたら、デジカメを持った女性が熱心にお寺の中を散策しておりました。

私が撮影した写真はこちら




今日という1日に感謝


合掌




『家康ブーム』到来!

中国では只今『家康ブーム』だそうです。


家康の生き様が中国人の心にも響くそうです。

山岡荘八の小説『徳川家康』がベストセラーになるなど、岡崎市も注目されればいいな^^と思っております。


家康公を語るにやはり母の於大の方の生き様も大変興味が湧くところです。

15歳で家康を生み、数え年3歳の竹千代との別れ。

これも時代に翻弄された女性の運命なんでしょう。その後、再婚し3人の男子を産みますがのちに家康公に仕えたといわれております。


岡崎城・大樹寺など市内には家康公ゆかりの場所が多くあります。

家康公がいかに部下達に絶対の信頼を得たのか。

そんな事も考えながら見るとまた違った見方が出来るかもしれません。



今日という1日に感謝


合掌

自分の『死後設計』を考える

お墓とは亡くなった家族や先祖を供養するために建てる。


しかし近年では自分が死んだ時のことを考えてお墓を生前に建てる方が増えています。先祖供養から自分の『死後設計』へと意識が変わってきているようです。


これまではお墓は結婚による『家』との結びつきや、親から子へという血縁による継承になって維持されることが多く、子供のいない人は養子を取ってお墓を継いでもらうこともありました。しかし、結婚は以前のように家と家との結びつくではなく、自由な故人の意思によって結婚するという個人と個人の結びつきに変わりました。


昔はその土地に生まれ、その土地で働き、家族を形成して、老いては子に扶養され、家で死を迎え、その土地の墓地に葬られる。


明治以降の産業構造の変化に伴い家族形態やライフスタイルも変化し、このような生活が出来なくなったこと。大家族から核家族への家族スタイルの変化もお墓への考え方が変わっていった原因のひとつなのかもしれません。


自分にとってのお墓とあり方を考えていくことも大切なことだと思いますが、誰しも迎えるその日のために、何かを準備することは難しいです。日頃から、家族で話し合うことも大切なのかもしれません。



今日という1日に感謝


合掌

これも時の流れか・・・

今年になってから墓石にもある流れが到来している気がする。


一般的な和墓より洋式型の墓石の注文が増えている。

そして竿石には『花』を彫るパターンが人気のようです。

花といえば『桜』を彫るお客様は多いです。


岡崎市市営霊園の昨年分譲された墓地を見ますと、個性的なお墓が増えたという印象があります。


石種も増えましたし、難しい加工も道具や技術の向上で可能になりました。



墓石作りをすることになったら是非墓地めぐりをしてください。

今まで何気に見ていた墓石にも興味が湧きます。

興味を持つことはとても大切なことです。


今月の法語


凡夫、煩悩の泥(でい)のうちにありて仏(ぶつ)の正覚の華を生ず



今日という1日に感謝


合掌


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